
関西学院大学地域.pdf
10页1 関西学院大学地域・ まち・環境総合政策研究センター長2 第1回研究集会の報告要旨は関西学院大学総合政策研究第25号 (2007年3月) 105頁以下、第2回のそれは同第26号 (2007年7月) 27頁以下に、そ れぞれ収録されている3 正式名称が 「本町ラボ」 なのか 「ほんまちラボ」 なのかそれ以外なのかは定かでない本稿では、あえて名称を統一することなく、論者の自 由な名称表示に任せたが、対象は同一のものであるはじめに(関根孝道1)2008年5月31日、三田本町商店街の地域交流館 「縁」 で、関西学院大学地域・まち・環境総合政策研究センター主催の第3回研究発表会が開催された2前回の開催が2007年の3月だったから、爾来、実に1年有余の歳月が流れたことになるこのようなブランクが生じたのは忙しさにかまけた同センター長である私の怠慢によるなので、お詫びの口上と共に、この序文を書き始めたいこれまでの研究集会の目的は、同センター研究員の日頃の研究成果を発表し、学際的な観点から総合的に問題の発見・解決を考えるもの―これが総合政策的なアプローチである―であったが、今回はいささか趣を異にしている。
奇しくも、昨年は、今や伝説ともなった 「本町ラボ」3生誕10周年の記念すべき年であったこの10年の総括を今回の統一テーマとした私にも本町ラボの思い出がある本学部に着任して最初に拝命した委員職が本町ラボ運営委員会であった当時、なんのことか皆目分からず、 「大阪市内の本町に実験所があるのか、はてな (?) 」 と思ったそれほど本町ラボのコンセプトは革命的だった本町ラボの正体は、本稿につづいて詳論されているので、ここでは言及しない大学、とくに社会科学を標榜する学部は、温室のような象牙の塔に甘んじてはならないと思う議論の空中戦はやっても意味がない有害ですらある本町ラボは、匍匐前進の前線 (フロント) であったし、学生にまちづくり・地域振興の地上戦を学ばせる実践場であったここで鍛えられた学生を羨ましく思う商店街という生々しい人生劇場で学べたのだから今回の研究発表として3本の論稿を収めた第一報告は、本町ラボを発案し、10年余りに亘って運営してきた、もと本学部教員の名物教授でもあった片寄俊秀の 「まちなか研究室 『ほんまちラボ』 で学び、発見したこと」 であるここでは本町ラボの10年が包み隠さず語られている。
まちづくり・地域発展の帰納法というべき本町ラボのアプローチは、 「言うは易く行うは難し」 であり、その極意は貴重な秘伝でもあるこの10年間の実証研究には史料的な価値が高いと確信しているResearch Note関西学院大学・地域・まち・環境総合政策研究センター研究報告 (3) ~第 3 回研究発表要旨~Research Note of Region, Town and Environment Policy Studies Center (3)関根 孝道・片寄 俊秀・小川 知弘・若狭 健作Takamichi Sekine, Toshihide Katayose, Tomohiro Ogawa, Kensaku Wakasa 4 前掲総合政策研究第25号105頁92Journal of Policy Studies No.29 (July 2008)第二報告は小川知弘の 「まちなか研究室の系譜」 である小川は本町ラボの卒業生で片寄ゼミの1期生であった本町ラボでの自らの経験を踏まえながら、本町ラボを嚆矢として全国に普及したまちなか研究室の進展が、本町ラボとの比較において紹介されている。
片寄の論稿が本町ラボに焦点を絞って深く掘り下げたものだとすると、小川の本町ラボ論は、雨後の竹の子のごとく全国各地に出現したまちなか研究室なるものを広く紹介したものである両者を読めばまちなか研究室の大体が分かる小川が博士号を取得し研究者の道を歩み始めたことも喜ばしい一方、片寄ゼミの卒業生は本町ラボでなにを学び、そこでの経験をどのように活かしているのだろうか卒業生からみた本町ラボの評価も重要であるかれらの事後評価なくして本町ラボ10年の客観的な総括もありえない本町ラボ主宰者の単なる懐古主義では意義がない第三報告は、卒業生にアンケートを実施し、その内容を紹介し、分析したものであるこの報告も本町ラボ出身者である若狭健作の手による回答は微細で多岐に亘るその要約は不可能であるこの第三報告で要領よく整理されているので、卒業生たちの生の声を聞き、本町ラボ10年の軌跡に思いを馳せてほしい若狭は、現在、地域シンクタンクで活躍し、今やまちづくり・地域発展の第一人者となっているとにかく若狭の上梓する地域タウン誌は面白い躍動感がある笑いもとるこれも本町ラボでの経験の賜であろういずれの報告も現場主義のスタンスである。
その意味について、かつて、 「現場主義というのは、 『現場に始まり、現場に終わる』 という言葉に象徴されるように、研究対象を現場にもとめ、そこでの問題発見・解決を模索し、その成果を帰納的に理論化・体系化し、再び現場に戻して検証する研究スタイルを指している現場・現実こそが学びの場であって、われわれの研究の出発点であり帰結点でもある」 と解説した4今回の研究報告もこのような研究スタイルに従っている今後とも、現場主義の総合政策研究を継続していきたいそのような実践の場であった本町ラボがいつの日か復活することを祈りつつ第3回研究集会は三部構成で一般にも公開された第一部は、明治学院大学の服部准教授の基調講演で始まった服部は、この日のために明治学院大学から多くの学生を引き連れて駆けつけてくれたその後、小川の上記まちなか研究室の系譜の発表がつづいた第二部では、地元商店街の商店主や本町ラボに縁 (ゆかり) のある人々を交えたパネルディスカションが延々とつづき、思い出話にも花が咲いた地元の人たちと学生との交流を通じて、両者―つまり、学生だけでなく商店主も!―が人間的に成長していったという本町ラボは人間ドラマの舞台でもあった。
第三部は無礼講の打ち上げであった狭い会場に最大瞬間風速にして100名以上の現役学生、卒業生、地元の人たちが親睦を深め、会場は人、人、人で溢れた大盛況であった学生バンド、オヤジバンド、サックス演奏もあって盛り上がった 「楽しくなければ意味がない」というのも本町ラボの流儀このようなDNAを受け継ぎたいと思った5 大阪人間科学大学教授、元関西学院大学総合政策学部教授6 1970年代における東京都三軒茶屋のこどもの遊びとまち研究会の活動、同谷中地区における谷中学校の活動において 「まちなか研究室」 的 な前例があり、また論者らも1970年代に長崎中島川まつりを発案したときに、市内に同様の拠点をつくっていた7 拙著 『商店街は学びのキャンパス』 関西学院大学出版会2002年3月発行同 『まちづくり道場へ、ようこそ』 学芸出版社2005年12月発行93T. Sekine, et al., Research Note of Region, Town and Environment Policy Studies Center (3)第 1 まちなか研究室「ほんまちラボ」で学び、発見したこと(片寄俊秀5)はじめに論者は1996年4月から2006年3月まで関西学院大学総合政策学部の教員として勤務したが、その間1997年6月から2006年3月までの約9年間、まちなか研究室 「ほんまちラボ」 を兵庫県三田市の商店街の中に設立し、ゼミ室として運営してきた。
論者がこの試みに取り組んだきっかけは、大規模ニュータウンの誕生で当時10年連続で人口増加率日本一を続けていた三田市が、もともとは中世からの陣屋町の歴史をもつと同時に広大な近郊農村に包含されているという、きわめて興味深い構造をもったまちであり、このまちをまるごと研究対象にさせていただこうと考えたことにあるなかでも本施設を設けた歴史的な中心市街地の商店街は、客観的に見るとかなり疲弊しているように見受けられた同様の中心市街地空洞化の問題は、まさに都市政策上の重要研究課題として多くの研究者が取り組んでいるが、なかなか解決への展望が見えない状況にあるこれについて論者は、すべてのカギは現場にあり、地域の方々の知恵のなかにこそ何らかの解決への道が見えるのではないかと考え、長期継続的な現地調査の機会を求めていたなお、現地に拠点を構えて長期滞在型で研究を展開する手法は、文化人類学ではごく普遍的な手法であり、またいくつかの同様の前例もあって論者自身それらから多くを学んでいる61.論者の「発見」したこと論者が試みた 「商店街の定点観測」 の結果として、いくつかの 「発見」 があったように思うただその多くは実証の難しい 「仮説」 であり、長い経過から説き起こさねばならないので、これまでは著書にまとめて報告してきた7。
論者なりに 「発見」 したと考えている内容を概略整理してみると次の各項である1)「商店街は学びのキャンパス」 であるということ① 商店街には驚くべき 「教育力」 があることの発見商業者たちは、おしなべて頭の回転が速く、しかも的確な人間観察力を有して居られるその高い教育力に多くのことを教わり、学生たちを逞しく鍛えていただいたと感じている② 商店街とは、まさしく 「 『知』 の高度集積地区」であることの発見個別の商店は、それぞれが専門分野の代表選手であり、関係業界に関する深い知識と高度な情報収集力を有しておられる学生の立場からみると、商店街にはいわゆる 「卒論ネタ」 が山ほどあり、情報収集についての指導者が身近に居られる、とてもありがたい空間といえる2)「まちづくり学」 の重要性について確信をもったこと阪神淡路大震災において、あるいは近年における世界や日本各地の災害において 「まちの仕組みと構造」 そのものが多数の人々を殺したという現実を考えたとき、そのあるべき姿を追求する「まちづくり学」 の展開は、人類的にみても最も94Journal of Policy Studies No.29 (July 2008)緊要とされる課題の一つと思われる。
すなわち研究者としても、人生をかけて、また大学としてはその存立をかけて取り組むべき、価値ある「最先端」 の研究テーマの一つと考えるが、いわばそれだけ難しいテーマなのだということでもある3)ほんまちセンター街のもつ 「未来都市」 性について難しいことの一つとして、 「まちづくりの目標像が見えない」 ことがあるのではないかかつて1960年代から70年代の前半にかけて 「未来都市論」 が盛んに論議された時代があるが、当時の論調の多くが、エネルギー多用、ハイテック、クルマ社会の到来にきわめて楽観的な視点に立っていたしかし、その方向は地球規模での破局への道であることがすでに明らかになっているにも拘わらず、真に希求すべき未来都市像が見えていないこれに関連して、論者は 「ほんまちラボ」 において 「定点観測」 してきた結果、外見こそ商店街としては衰退著しいこの 「住・商混在地区」 こそが、じつは人々が真に求めている 「ほんものの未来都市」 ではないかと考えるに至ったすなわち、① みんなが顔見知りのまち → 抜群の防犯性がある② 世代間交流、人々の対話があるまち → 未来へ展望がある③ 子どもと高齢者にやさしいまち → 福祉性がある④ ときどき 「まつり」 などがあって、住んで楽しいまち → 愉楽性がある⑤ 伝統的な美しい町並みと環境維持に住民が努力しているまち → 持続性がある⑥ 商・農・学の連携がはじまったまち → 連携性がある。
2.コラボレーションの難しさと望ましいあり方を求めて(1) 問題の発生と深刻化のおそれスタートは蜜月のよう。
