
芥川龙之介读后感.docx
16页芥川龙之介读后感篇一:芥川龙之介杜子春读后感 芥川龙之介杜子春读后感 芥川龙之介的《杜子春》,语言生动通俗易懂,如聊斋志异一般给我们讲述了一个有趣的奇谈,可是这小说却不同于童话故事,文章到底表达了作者怎样的思想?竖立白眉老仙人这个角色有什么作用?一连串的问题萦绕之下,以为必有可以自安之计 《杜子春》共有两个版本,一个是中国《唐人传奇玄怪录》描写富家子弟杜子春的故事,另一个就是芥川龙之介在此基础上改编的日版《杜子春》 相比之下,开头部分都是写富二代杜子春花完了祖上的家产,贫困潦倒无从糊口,这时一位仙人救助了他,结果他又再三重蹈覆辙,老人又接连几次赠与了他财富,直到两三次后他终于醍醐灌顶,有所感悟 仔细观察,在《唐人传奇》中老人直接给他现金,并次次叮嘱他要有所悔改,最后一次还警告他说道:“再不改过自新,你就永远受穷吧”;而在芥川龙之介笔下,老人只是与他寒暄几句,让他在夕阳自己影子的头部、腿部挖土获得黄金,转眼便消失不见且花费大量笔墨描写杜子春奢侈生活——连一些不面熟的亲戚都来参加他的宴会,在把他推向极点之后狠狠摔入谷底——穷到别人家连口茶都不肯给他喝,多么一个“穷在街头无人问,富在深山有远亲”的例子!更重要的是,老仙人又让他在夕阳下把影子脚步挖出黄金来时,杜子春自己拒绝了。
由此可见《唐人传奇》中杜子春的感悟像是在老人劝告 下引发的,而小说中描写的是杜子春大起大落之后自己获得的感慨,衔接更加自然 接着来看,《唐人传奇》中杜子春从此安居乐业自食其力,情节一大亮点悄然熄灭,不免有些落入俗套后来又写杜子春为了报答老人,奉命来到云台峰协助仙人炼丹,()是否有些未完待续冗长了呢?小说却不同,杜子春厌恶了人间虚伪,不想再次落入尘世,恳求仙人收他为徒想成为仙人并被带到峨眉山,这样不是就顺畅符合逻辑了许多吗? 二者结尾也是天差地别,相同的两篇文章都描述仙人叫杜子春无论如何都不要发出声响,撇下他一人杜子春的面前便显现出豺狼虎豹凶神恶煞魑魅魍魉甚至地狱的景象来,直到看见地狱里鬼怪折磨自己的亲人,他终于情不自禁喊出声来好了,这里发生变化了,《唐人传奇》写仙人因此炼丹被打断,从此气愤地离开了杜子春,这好像有些跑题了吧,况且使白眉智者的形象瞬间变为暴怒的老头子,这个收尾我觉得简直不符合前文,若是这样杜子春岂不是变成铁石心肠的无情之人了么?而小说则差强人意,仙人出现景象消失,老人告诉杜子春——“如果郎君真不作声??我会立即取你的性命因此“仙”也不是那么好当的,老人留给杜子春一个乡间田宅和几亩地,便又消失不见。
小说是《唐人传奇》的升华,芥川龙之介先是带我们领略了人间的虚伪无情,杜子春便提出想成仙的请求——其实这只是一种对现实的逃避,老人又考验他,他终于忍受不了鬼卒鞭笞父母而喊了出来,终没有成仙——人间冷酷,可真情自在,想着成仙逃避是没有用的篇二:「秋」芥川龙之介の読书感想 「秋」芥川龍之介の読書感想 氏名:黄晶 番号:1092021029 最近、期末試験の復習をしている間に、少し暇ができて、芥川龍之介の短編小説集を読んでみたその中に「秋」という編に私が気になっていたこの短編も三年生の日本文学の授業にも出ていると聞いたが、この作品についで三年生の先輩と一緒に相談しました あらすじはとても簡単で、姉妹と従兄の三角関係の物語である姉であるの信子は将来作家として文壇に立つことは間違いがないと言われていた逸材だった信子と従兄の俊吉は公認の仲でした2人は文学の話をはじめると親しさがいっそうに募ったしかし、信子は学校を卒業すると別の男と結婚した妹の照子は俊吉と結婚したつまり、姉の信子は妹が俊吉のことを好きということが分かって、自分の結婚相手の俊吉を妹に譲ったわけだったしかし、信子の心には「しこり」が残っていたようで、結婚生活にどこか満足できない、打ち込んでいた小説の創作もうまくできなくなった。
このような時に、信子は東京に住んでいる妹夫婦(照子と俊吉)の新居に訪ねた最後は姉の信子の心には「既に妹とは永久に他人になったような心もちが、意地悪く彼女の胸に氷を張らせていたのあった」という気持ちで、俊吉に一言も別れの挨拶もしないまま、妹夫婦の家を出た この小説については、私は関心し、納得する部分もあり、なかなか理解できない部分もあり、以下は私の感想で、先生のご意見も伺いたいと思う まずは人物の行動が理解できない姉である信子は妹の幸せのために、自分の結婚相手を譲るなどということは、私には理解できない確かに、自分の妹のために、自分が妹を愛し、かわいがっているから、俊吉を妹に譲ったのだったしかし、そうすることで、俊吉や妹や自分が幸せになれるのだろうか私はそう思わないその理由はの第一は、俊吉は人であり、物ではないので、譲るということはないからだ第二は、たとえ妹が俊吉を得ることが出来たとしても、彼女は幸せになれないと思われるないだろうか姉の同情心から得られる幸せは本当の幸せではない妹を幸せにする方法は他にもあるのに、なぜ自分の婚約者の俊吉ではなければならないのだろうか 次は妹の照子の行動だ。
姉と俊吉はお互いに愛し合っているし、文学という共通の領域も共有できることを誰よりも分かっているのに、自分の気持ちだけ考えているのはあまりにも自己中心だともいえるだろうそして、姉の犠牲や施しを平気で受け、簡単に俊吉と結婚するとは、あまりにも幼いのではないか 最後は男である俊吉のことだ自分が本当に愛しているのは誰か私は小説の中でこのことが分からなくなった俊吉自分は選択したかもしかしたら、俊吉は照子のことも信子のことも、本気で愛してないのではないは、という気がするあるいは、俊吉にとっては、愛というのはどうでもいいのことではないかと、私が考えなければならない この内容により、三人のこのままな動かしがたい状況になってしまった原因は三人の価値観の混乱である私が思う 照子は利己主義者とも言える信子が無私だとしたら、何故妹の家庭に嫉妬の情が生じたのだろうか俊吉は自分で自分の結婚相手を選択することも出来ず、無事に照子と結婚することをしたこういうやり方は、自分の人生や他人の人生への責任感が欠けているとも言えるだろう 内容のほかから考えてみよう芥川龍之介は自然主義と対峙し、芸術によってこれを止揚しようとする芸術至上主義の立場の作者であり、芸術とは、いわゆる、作り話になる。
作り話の中の女性やこのような状況とは、空想の中で作りあげたであり、同時に、この世には存在しないかもしれない作家は、芸術や人物の心理状況をよく表現するために、現実には存在しない状況への思いを作り話の中で昇華させるのかもしれないと思う 資料によると、芥川龍之介の父親は、芥川龍之介の母親であった女性の妹と再婚していたようだ芥川龍之介は、作品の中に描いた信子のうしろ姿を見つめながら誰を思っていたのだろうか文学表現の点からみると、姉妹と従兄の三角関係を通じて、秋の季節感を利用し、「薄濁った空、疎らな屋並」などの場面描写で、その揺れ動く心情を姉信子の視点で緻密に描写した三者とも思いを内に秘めながらも、ただ目の前にある現実を生きようとしている様子が生き生き表現されているのは確かに感じられる篇三:芥川龙之介《鼻子》赏析 芥川龙之介《鼻子》赏析 芥川龙之介(1892年3月1日-1927年7月24日),号“澄江堂主人”,俳号“我鬼”,日本小说家本姓新原,幼年即过继于其舅父,改姓芥川 芥川龙之介在他短暂的一生中,写了超过150篇小说他的极短篇小说篇幅很短,取材新颖,情节新奇甚至诡异作品关注.丑恶现象,但很少直接评论,而仅以冷峻的文字和简洁有力的语言来陈述,让读者深深感觉到其丑恶性,这使得他的小说即具有高度的艺术性又成为当时.的缩影,其代表作品如《罗生门》和《竹林中》、《蜘蛛之丝》等已然成为经典之作,甚至翻译为汉语,选入.的高中国文课文。
《鼻子》是他的初期创作的小说,也是他的成名作,发表于1916年《新思潮》创刊号上其冷峻的言语,细腻的心理刻画,深刻的人性批判为人惊叹小说发表后立即得到了日本文学大家夏目漱石的认可,他认为“那样的作品再写上二、三十篇当会成为文坛上无与伦比的作家”而这的确得到了验证,芥川后来成为了新现实主义的代表作家,在日本文坛史上有着无法取代的地位 《鼻子》讲述的是一个名为禅智内供的和尚为异乎常人的鼻子所苦的故事内供的鼻子长五六寸,从上唇挂到了下巴这种奇特的鼻子不仅给他的生活带来了不便,也带来了他人异样的目光及嘲笑,因而极大地伤害了他的自尊心内供表面装作毫不在意,私底下却尝试众多方法意图让鼻子变短然而不论是揣摩鼻子看上去比实际短的方法,或是在现实及佛典中寻找有同样鼻子的人,还是运用各种奇特药方进行医治,内供的现状都没有得到实质的改变 后来,一个因事上京的弟子得到了一个秘方内供的鼻子经热水烫,脚踏,抽油脂等步骤终于变短,内供感到十分愉悦然而人们对于从不幸中解脱的内供抱有明显的敌意,他们比原先更刻薄地嘲笑他因而,内供又陷入了烦恼中 一天夜里,因鼻子充满了水气,内供的鼻子又恢复了原样于是内供又恢复了神清气爽的心情:“这下,一定再没有人笑了。
《鼻子》通过内供的心理变化来展开,一开始就直述了鼻子的奇特外形,表明了内供的苦恼内供是个地位高贵的僧人,他曾花费几年时间抄写《法华经》他要会见来访池尾的侍者,教导前来承教的下法师,并希望成为“一心渴仰着将来的净土的和尚”然而这样一个本应不为世俗所动的高僧却也在为自己的外表而苦恼这种对立具有强烈的讽刺,它暗示着即便是具有宗教意识的佛门弟子,也具有最为普遍的人性弱点 在恢复损毁的自尊心方面,内供采用了消极与积极的方法对着镜子揣摩使鼻子看上去比实际短的方法以及在现实,佛典中找寻拥有同样鼻子的人都非常贴近现实前者是希望通过揣摩给自己心理暗示,让内心得到平静后者则是在.群体中寻求与自己有同样遭遇的人,减弱强烈的孤独自卑感在某种程度上,这些寻求心理安慰的方式类似于阿Q的精神胜利法当然内供也采取了积极地治疗方法,但一切都没有奏效芥川在安排这段材料时,对消极的方法进行了详细地描绘,而对积极的方法则一笔带过这种详略的安排十分有效地表现了内供自尊的脆弱,也使得文章更为紧凑 对鼻子的治疗是文章的一个转折点,内供有了更强烈的情绪起伏,文章也暴露出了更多人性的丑陋面在得知弟子有治疗鼻子秘方之时,内供装作毫不在意,却暗示弟子劝说他试用此方法。
内供的好面子,虚荣在此展露无疑在治疗时,内供既带有紧张的期盼,又带有不快的疑心,这种敏感多疑的性格在之后也有所表现当鼻子如愿变短时,内供的欣喜则是显而易见的 然而鼻子变短的内供却得到了更刻骨的嘲讽从沙弥到内道场侍奉,五十多岁的内供一直为长鼻子所苦然而他半辈子的期盼达成后却并没有获得理想中的友好对待与尊重这种愿望的破灭揭示了主人公悲剧命运的实质:他选择了世俗的文化标准来界定自我,只有符合了.群体的共同需求才能聊以自慰因而,他失去了真我 芥川是在什么样的背景下写出《鼻子》这篇小说,又是一种么心态呢? 有人说是以一种嘲讽的心态看待以鼻子和其主人为代表的芸芸众生的普通生活,也有人说《鼻子》这篇作品深刻地蕴涵着禅宗的人生“三境界,实际上,任何文学作品的产生都离不开作者自身的因素和当时的.状况的影响 首先,从芥川龙之介的人生经历看,《鼻子》的诞生是离不开作者本人对历史的爱好,还有当时作者本人受到了失恋的打击这两方面的可以说这两点起到了至关重要的作用《鼻子》取材于日本古代故事集《今昔物语》,对其中一个简单的笑话做了。