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14页三江学院日语专业毕业论文日本人の蛇信仰について ----蛇信仰が日本人への影響序論蛇という動物といえば何か奇怪で不思議なイメージを思い出させ、文化が違っても蛇対する感じは神秘的なものであり、これが万国共通であるだから、世界各地の蛇についての印象といえば地域によって異なっていますが、発想の元に根ざすものは同じだといってもいいと思う キリスト教では『旧約聖書』の「蛇がイブをそそのかして禁断の実を食べさせた」という記述から悪いイメージが付いて、だから英語で「snake」と言えば「誘惑者」「悪魔」に転じて、更に「裏切り者」という意味をも含まれているらしいだ古代エジプトでは太陽信仰が定着していて、蛇はその中で太陽神の遣いであり、大きな力(エネルギー)の象徴だったようだ 中国では蛇は常に美女というイメージで伝説や物語に現われている蛇を祖先神として奉る所もあるまた古代中国では川がくねくねと曲がって流れているのを蛇にたとえ、蛇は川の神とされていた 日本では蛇とどのような繋がりがあるのか、蛇という動物に対するイメージにはどのような変りがあるのか、蛇と蛇信仰は日本人の日常生活、言語表現及び日本文化にどのような影響をもたらしてきたのか。
これらの問題を初歩的に研究しようと思い、本論文をあえて作成してみるつもりである本 論一、日本の神話や伝説に出てきた蛇古代日本人が蛇信仰をもっていたために、蛇は日本神話にたくさん現れた日本神話に出る蛇は殆どある種の神とされることが多かったまた、治水に関わるものも少なくなかった著名なものには周知のような須佐之男命による八俣大蛇の退治があるここにおいては別の例を取上げ、日本人の蛇信仰を述べてみる1.1宮古島の蛇信仰蛇神と交わり子を産む蛇巫女の話は、遠く西南海上の宮古島の伝説1にも現れる南方海上の伝説の方が本家という考えもあるようだ 昔、宮古島のある村に玉のように美しい娘がいた14、5歳の頃、懐妊したので父母はあやしみ、どうして懐妊したのかと問い詰めると、娘は顔を赤らめてこんなことを言った「名も知らないうるわしい男子が夜な夜な忍び寄ってきた夢見心地で今夜も来るか、明日もくるかと思っていたら、いつとはなく身ごもった」 父母はびっくり、その男を突き止めなければと思い、千尋の麻績の先に針をつけ「男がきたらこれを髪に刺せ」と娘に渡した娘はその通りにした 翌朝、麻績は戸の節穴から外へ出ているではないか。
それを辿って行くと、ある岳の洞窟に長さ2、3丈にも余る大蛇が横たわり、針がその首に刺さっているではありませんか父母は驚き、途方にくれた その夜、娘の夢にかの大蛇が出てきて、「我はこの宮古の島建ての神であるこの島の守護神を生もうと思い、汝に忍び寄ったのである汝は三人の女子を生むであろうから、その子が三歳になったら漲水御嶽に伴れてまいれ、といったとみたので、父母に之を語ったやがて臨月になったので、三月初巳の日、七浜七磯をふませた後、七汐が花を汲みとって浴びせると果たして三人の女子を産んだ三歳になった頃、御嶽につれてゆくと父なる大蛇が両眼は日月の如くかがやかせ、牙を剣の如く現わし、紅の舌を出してイビの岩を枕にして鳴き出した彼女は子らを放り出して気絶したが三人の子らは恐れずはいより、一人は首に、一人は胴に、一人は尾にすがりついた大蛇は涙をながして子らに接吻して後昇天し、三人の子らは御嶽の中に入りて姿を消し、島守り神になったという1.2三輪山の神話「この意富多多泥古と謂ふ人を、神の子と知れる所以は、上に云える活玉依毘賣、その容姿端正しくありきここに壮夫ありて、その形姿威儀、時に比無きが、夜半の時に儵忽到来つ。
故、相感でて、共婚ひして共住る間に、未だ幾時もあらねば、その美人妊身みぬここに父母その妊身しことを恠しみて、その女に問ひて曰ひけらく、「汝は自ら妊みぬ夫無きに何由に妊身める」といへば、答へて曰ひけらく、「麗美しき壮夫ありて、その姓名も知らなむが、夕毎に到来て共住める間に、自然懐妊みぬ」といひきここをもちてその父母、その人を知らむと欲ひて、その女に誨へて曰ひけらく、「赤土を床の前に散らし、卷子紡麻を針に貫きて、その衣の襴に刺せ」といひき故、教への如くして旦時を見れば、針著けし麻は、戸の鉤穴より控き通り出でて、ただ遺れる麻は三勾のみなりきここにすなはち鉤穴より出でし状を知りて、糸の従に尋ね行けば、美和山に至りて神の社に留まりき故、その神の子とは知りぬ故、その麻の三勾遺りしによりて、其地を名づけて美和と謂ふなり以上の伝説を見比べ、下記のことをまとめられると思うつまり、①ハンサムな男子は夜女子の家を訪れ、その女子を妊娠させたのである②これらの伝説に出てきた蛇は始祖神として登場したのである③これらの伝説に出てきた女子は神様ではなく、ごく普通のにんげんであるこれらの伝説や神話は生殖崇拝と密接な関係があると思う。
実は日本だけでなく、東南アジアにも、蛇に関わる伝説や神話が数多くあるのであるその原因につき、定説がないが、蛇の生態と何か関連があるではないかと思う蛇の外見はもちろん、食生活や交尾の仕方が、日本人の蛇信仰に大きな影響を与えているからである二、縄文人の蛇信仰について古代から今だにかけて、日本人は蛇に対してずっと畏敬心をもってきた遡れば、縄文時代から古代日本人は蛇信仰を持ち出したのであるヘビもまた縄文時代以来の神でした縄文時代中期の長野県の井戸尻文化の土器には、ヘビを造形した文様がいっぱいある縄文時代以来の日本人の蛇信仰について書かれた吉野裕子先生の『蛇』(法政大学出版会)によれば、「注連縄は蛇である」という2.1「縄文」と蛇「縄文」という言葉は、もともと、土器に付けられた縄の文様に由来しているのだが、縄文は、その細長い形とウロコのような模様から、蛇の文様ということができる実際、縄文土器には、写実的な蛇を付けた物もたくさんあるあらゆるモノに神を見た縄文人にとって、大いなる地母神のおぼえ目出たき主神とは、その男根に似た形状と、10時間も絡み合うという交合に見られるたくましい生殖力を持ち、収穫物を荒らすネズミの天敵であり、そして再生=甦りを示す抜け殻を残す「蛇」であった。
土器を飾る縄目の文様こそ蛇への賛歌であり祈りであり、再生への願いを込めての呪術であった2.2土偶と蛇縄文人の土偶にはいたるところに蛇の形象があるということであるアイヌの民族衣装にも蛇の文様が付いているが、あれは縄文時代の蛇信仰の名残である 縄文土偶にも、抽象的な蛇の文様が付いているだけでなく、写実的な蛇が頭でとぐろを巻いているものまである安田喜憲は、これを「縄文のメデューサ」と名付けている頭に蛇を持つメデューサは、後に父権宗教によって、恐ろしい化け物にされてしまったが、もともと地中海地方で地母神として崇められていたわけだから、これもまた、縄文土偶が地母神像である根拠の一つである 古墳時代の「みずら」から、武士の時代の「ちょんまげ」に至るまで、日本人が頭に蛇の形状を連想させる髷(まげ)を結うのは、縄文時代のメデューサの名残だと考えることができる女性は、必ずしも曲げを結ったわけではないが、これは、長く伸びた髪は、それだけで、蛇を連想させるものだからなのだろう縄文時代晩期に作られた土偶の中には、ゴーグルのような大きな丸い眼孔と閉ざされた瞼により一直線となった眼が特徴的な遮光器形土偶があるその眼は蛇の眼のようにも見える。
ちなみに、夜行性の蛇の眼は丸くて大きく、光を当てると、瞳が縦長になるただし、遮光器形土偶の眼の線は、縦長ではなく、水平であるそれは文字通り水のように平らなのだ2.3 縄文人の蛇信仰の原因を探究縄文人は、むしろ蛇を危険な存在として、嫌っていたと考えているようだその原因は一体なんでしょうかそれを研究しようとおもったら、まず縄文人時代の住処から考える 石器時代の人間にとってかっこうの住処というと、洞窟に違いないであるなぜというと、それは夏は涼しいし、冬は暖かいからであるそして獣に襲われる危険もないただ唯一の侵入者は蛇であろう蛇が石器時代の人にとって、無論一番危険な存在である蛇がどうしてあれほど多くの神話や昔話に出てくるかそれは、その時代の穴居生活のもっとも大きい障害者が蛇であるということを考えれば、明らかである 一方、多くの蛇信仰の研究者は、脱皮する蛇は永遠の生命の象徴であるから、世界的に蛇は神として崇められると説明するだが、脱皮する動物は蛇だけではない他の爬虫類や両生類や節足動物も脱皮する蛇の脱皮は全身のつながった抜け殻を残すことで有名だが、昆虫も同様の抜け殻を残すだからと言って、そうした昆虫がすべて永遠の生命を持った神として崇拝されるわけではない。
むしろ、セミの抜け殻を意味する「空蝉(うつせみ)」に、はかないという意味があるなど、逆の場合すらある蛇信仰の根拠を考える時には、蛇ならではの属性に注目しなければならない脱皮という属性は、蛇信仰根拠の一つにしか過ぎない母権宗教が蛇を神の使者として崇めるのは、蛇が、子宮へと通じる長いトンネルの形をしているからである蛇が地を這う様子は、川が大地を流れる様とよく似ている川の流れに身を任せれば、海に入ることができる川は胎内回帰のための案内人であり、案内人としての役を果たす巫女は、蛇と自己同一する水のようだといっても蛇のようだといっても、それは縄文人にとっては同じことである蛇は水の神であるだから、例えば、縄文土器の文様が蛇なのか流れる水なのかといった議論にはあまり意味がない母なる大地を流れる川のように大地を這うから、蛇は神の化身として信仰されたのであるそれゆえ、蛇が崇拝された理由は水が崇拝された理由と同じである三、蛇信仰および日本人の日常生活蛇信仰は多からず少なからず日本人の生活にも影響をもたらすのであるその印の一つとして、蛇伝説に関わるまつりがある3.1新潟県関川村の大したもん蛇まつり このまつりは、昭和42年8月28日に発生した羽越大水害と村に伝わる「大里峠(おおりとうげ)」という大蛇伝説をテーマに、昭和63年から村民のまつりとして行われている。
8月28日水害の時は、関川村周辺では未曾有の大災害が発生した遠く、笹川流れにも漂流物が流れ着いたそうだこの「大したもん蛇まつり」は、水害の犠牲者の鎮魂の意味も込められているのだ メインイベントの大蛇パレードに登場する長さ82.8m、重さ2tの大蛇は村民の手作りで、竹とワラで作った世界一長い蛇としてギネスブックに認定されているまつりは、毎年8月下旬に開催され、大蛇パレードのほかにも灯篭流し、花火大会、盆踊り大会、喜っ喜(きっき)大会(ジャンケン大会)、福まきなどが行われる3.2小山市で伝統の「蛇まつり」 小山市で竹にシダなどを巻きつけて作った、巨大な蛇を担いでまちを練り歩く伝統行事、「蛇まつり」が行われている 蛇まつりは小山市の間々田八幡宮に江戸時代から伝わる行事で、蛇が恵みの雨を降らせたという言い伝えにちなみ、五穀豊穣などを願って行われている 神社の境内には、地元の人たちが竹にシダなどを巻きつけて作った、長さが30メートルもある7匹の蛇があつめられたのである はじめに蛇に水を飲ませる「水呑みの儀」という行事が行われ、地域の子どもたちが中心になって蛇を担いで境内にある池に入れた。
子どもたちは太鼓や拍子木の音が鳴り響く中、胸まで水につかって頭を盛んに動かして蛇に水を飲ませ、訪れた見物客からは大きな歓声や拍手が上がっていた。












