
日语作文范文1400字.docx
35页日语作文范文1400字 びょうき病気たなかラオ: 田中さんたなかなに田中: はい、何ですかすくすりラオ: 済みませんが、薬をくださいたなか田中: どうしましたかかぜひラオ: 風邪を 引きましたたなかねつ田中: 熱が ありますかすこラオ: ええ、少し ありますたなかびょういんい田中: じゃ、病院へ 行きましょうねがラオ: お願いします*****病気(びょうき) : ◎ 病 (名詞) が: (接续助词,起委婉语气或转折作用) 風邪を引く(かぜをひく) : 患感冒 熱(ねつ): ◎ (感冒发)烧 (名詞) 少し: ② 一点点 (副詞)電車に 乗るラ オ: すみません、横浜まで いくらですか 女の人: 300円ですラ オ: どうも ラ オ: あ、木村さん、どこへ 行きますか 木 村: うちへ 帰りますラオさんは? ラ オ: 友達の うちへ 行きますこの 電車は 横浜へ 行きますか 木 村: いいえ、行きません 三番線ですよ ラ オ: そうですかありがとう* 横浜(よこはま) ◎* 木村(きむら) ◎* 三番線(さんばんせん) ◎ : 三号站台デパートで李 : ちょっと すみません。
店員A: はい李 : かばん売り場は どこですか店員A: かばん売り場ですか 5階です李 : どうも店員B: いらっしゃいませ李 : この かばんは いくらですか店員B: 3500円です李 : じゃ、これを ください店員(てんいん) ◎スケジュール加藤: 日本語の 勉強は 何時からですか王 : 九時からです加藤: 何時までですか王 : 12時までです加藤: そうですかきょうの 午後は 何ですか王 : 先生の 講義に 出ます加藤: 何時に 終わりますか王 : 五時に 終わります* 加藤(かとう) ①* スケジュール ③ : 日程表* 講義(こうぎ) ① : 讲课私の一日きのう わたしは 富士山へ 行きました富士山は 日本で いちばん 高い 山です3776m(メートル)ですわたしは いちばん 上まで 行きました人が たいへん 多かったです天気が 良かったですから、とても きれいでしたでも、少し 寒かったですちょっと 疲れましたが、とても 楽しかったです* から: 表原因* が: 表转折* 疲れる(つかれる) ③ : 疲劳、辛苦 (自下一)第二篇:日语优秀作文鉴赏 18800字朝顔の魅力どこからみても何のへんてつもない小さな黒い朝顔の種。
しかしこの種こそ私の宝物なのですこの宝物がやがて芽を出し成長していくと見事な花を咲かせますその花が朝日にあたりダイヤモンドのように輝くのですしばし夏の暑さを忘れ、自然と笑顔がこぼれ心にゆとりを持たせてくれるのです今年も五月のはじめに種をまき、今ではつるも出て小さなつぼみもいくつかついていますどんな色の花を咲かせてくれるのか、今から楽しみに育ててます その朝顔との出会いは小学校一年生のときでした先生から育てるうえで、いくつか話しがありましたその中で、「毎日声をかけると、朝顔も喜んで、大きくなるよ」と言われたのが特に心に残り、「今日も暑かったね」などと話しかけながら水やりをしました成長していく過程が楽しみで毎日見に行きましたそして、見事にピンクの花を咲かせたときには、何とも言えない喜びと嬉しさで感動したのを覚えています夏休みには家に持ち帰り、毎日何個、花が咲くのかを観察しましたやがて秋には何十個も種が取れましたそれからというもの、私は家で採れた種を翌年まき、育ててまた次の年へと続け、もう六年が経ちました毎年たくさんの種が取れるので、友達や近所の人、親せきにも配ったりしましたこの六年間をふり返ると朝顔も濃いピンクの花から、うすいピンクやうす紫へと花の色も少しずつ変化してきました。
私自身も朝顔を通していろいろな経験をしました二年生のときには、一鉢に一粒か二粒ぐらいまくのが朝顔がよく育つのに、「たくさんまけば、花もたくさん咲くかもしれない」と思い、一鉢に五、六粒まきました結果は予想とはずれ、あまり成長せず花も小さく勢いがありませんでした「よくばったらいけないなぁ」とつくづく思ったものです四年生のときには、私が朝起きて見るといつも、咲いています「朝顔は、いったい何時頃から咲きはじめるのだろうか」と思い、夏休みの自由研究のテーマにしましたねむい目をこすりながら午前三時頃から観察しました四時半にはつぼみがふくらみはじめ、五時半頃にはほぼ満開になりました少しずつ変化していく様子をまのあたりにし、新しい朝顔を発見した気分でしたまた、夏休みには毎年家族で旅行したりして、家を留守にすることもありましたそんなとき、バケツに水を入れ、その中に鉢ごといれ、水分不足にならないように気をつけました 今まで育ててきて一番心配したのは去年でした種ができかかっていたときに台風が来て、全部倒れてしまいびっくりしました葉もやぶれ、つるも途中で折れたりと、それは無残な姿でした「わぁ、ひどかったねぇ」と言いながら、鉢を起こし手当てをしました。
根がしっかりしていたので、どうにか元気を取り戻しなんとか種を取ることができましたすごい生命力に、こちらが何か元気をもらったようでしたこの六年間、朝顔を育てて感じたことは、同じ種でも、芽の出方や育ち方に違いがあるのに気づきました種をまいて一週間ぐらいで芽を出しどんどん成長していくものもあれば、もう出てこないのかとあきらめていた頃、一ヶ月以上も経過してから、ひょっこり芽を出すものなど様々です成長の早い遅いはあっても、めざることはただひとつきれいな花を咲かせることなのです人間も一人一人違ってあたり前運動が得意な人もいれば、絵がうまい人、話が上手な人、それが不得意な人などさまざまですいろんな人がいてこそ、自分にないものを他の人から吸収できるし、またそこから自分に広がりが出てくると思います朝顔をながめながら、 「わぁ、きれいね」「ほんとね今日もたくさん咲いたねぇ」と会話している私の家族の声を聞きながら、朝顔も満足しているのではないかと思います 人間にも朝顔にも共通するところがあるように思えますきっと朝顔は花を咲かせるという夢をいだいて、ときには厳しい自然にも立ち向かいながら目標を達成しています私も落ち込んだり悩んだりすることがあるかもしれませんが、自分の夢に一歩近づけるよう努力したいと思います。
そして私の夢にも花が咲きますように今朝も我が家の朝顔は、そよ風に体をなびかせています山との出会いまるで、パレットに絵の具を落としたように、あざやかに彩る山の紅葉を見たことがありますか一面真っ白な雪景色の中で、コバルトブルーにかがやくオオルリの美しさを知っていますか山小屋の庭先で、宝石のように光るミドリシジミを、ひとりこっそり見つけたら、どんなに心がときめくと思いますか初めて私が富山県の立山に登ったのは、小学三年生の秋でした山岳写真家の私のおじさんに連れて行ってもらったのです『星に一番近い駅』と言われる立山の室堂は、標高二四五0mというものすごい高さにありますそんな高さの世界では、私の知らないおどろくことばかりでしたそのながめは壮大で、周りの山々を見下ろすと、白いきりが海のように広がっていて山の頂だけが浮かんで見えました何かとても不思議な感じはしていたのですが、きりだと思って見ていたものは、実は雲だったと知って本当にびっくりしましたまさか自分達の下に雲があるなんてまして雲よりもっと高い所に自分が立っているなんて信じなれなかったのですそれから、山はすごく寒くて、水は凍るように冷たかったです。
うっかり手袋を落としてしまった私は、おじさんに、山での手袋は、自分の手と同じようなものなんだぞと叱られましたそして本当に、冷たさで手がちぎれるように痛かったです私はその時、ちょっぴり山のきびしさを知りました立山の秋の紅葉は、その全てが絵ハガキのようでした赤や黄やオレンジに色づいたナナカマドやカエデ、ダケカンバなどの葉っぱか、お花畑のように見えました私は生まれて初めて、こんなきれいな紅葉を見たので、感動でむねがいっぱいになりましたそしてこの美しいを写真におさめて、もう一度みたいと思い、カメラを片手に、感じたものを取りながら歩きました遠くの紅葉もすばらしいのですが、足もとに目をやると、そこにもきれいに色づく植物が木道の脇を飾っていました私は、雨のしずくにしっとりとぬれた、赤く美しいチングルマのしげみの中に、黄色い葉をもつトリカブトを見つけましたその近くには、オヤマリンドウが、青むらさきの花をつけて、ひときわ美しい咲いていました大自然の中では、人の命をうばうほどのおそろしい植物も、こんなに美しい花とともに共存しているのだと、おじさんに教えてもらいましたそれを聞いたので、カメラでトリカブトを撮る手が少しふるえてしまいました。
「なんでこんなに低い木があるんだろうこのはっている木はなんだろう」私は、その場に立って、しばらく考えこんでしまいましたするとおじさんが、「これはね、ハイマツと言って、標高二○○○m以上にしか生えない松なんだよ」 と教えてくれました私は雪の重みにたえきれず、はってしまったのかなと思いましたが、本当は、強い風がふく高山では、上の方にのびることができず、はうことしかできなくなってしまったからだそうです冬が近づくとなかなか見るのがむずかしい山の忍者“雷鳥”きりの中、どうしても見たい!という思いで目をこらしていたその時、きせきが起こりました私の目の前を一羽の雷鳥がバッと飛び立ったのですもうびっくりして心ぞうが止まるぐらいドキっとしました願いがかなったのですそして雷鳥が飛び去ったあと、急にものすごい雨がザーっと音を立てて降ってきました雷鳥が現われる時は、天気がくずれるというのは本当でしたいっしゅんの出来事でしたが、その光景を思い出すたび、私の心は今でもときめくのです大自然の中には、さまざまな植物や動物に、やっと出会えた時、感動するのです私は時々、山に行きたくてたまらなくなりますいつも心がわくわくすることを探しています。
そして、どこにそれがあるかも知っていますだから、もし友達で心が傷ついたり、毎日が苦しくてなやんでいる人がいたら、「山に行こうよ山には自分だけにしか見つけられない宝物がいっぱいあるんだよきっと探せるよ自分が見つけたもの全てが宝物だから」と、いうつもりです橋人が、橋を作ったのはいつなのだろう?人は、橋を作る時何を思うのだろう?そして、自分が初めて橋を渡ったのは、いつの事だったろう?幼稚園?小学生?まだ、自我の無い赤子の時?あるいは、まだ母の体内にいる時に、さまざまな「橋」を渡っていたのかもしれない「橋」、言葉にするとたった一文字の単語だが、意識して思い起こしてみると、「橋」というものは自分の周りのさまざまな所に存在している川を越えるための「橋」。
