
社会関政治意识.pdf
60页社社会会とと のの関関わわりり とと 政政治治へへのの意意識識 ――――社社会会的的連連帯帯にによよ るる 変変化化―――― 卒卒業業論論文文 2 20 00 04 4 年年 1 12 2 月月 2 24 4 日日 指指 導導 教教 員員 藤藤 本本 昌昌 代代 同同志志社社大大学学文文学学部部社社会会学学科科 1 12 20 01 12 20 00 08 8 古古澤澤慎慎介介 社会と の関わり と 政治への意識 ――社会的連帯によ る 変化―― 学籍番号1 2 0 1 2 0 0 8 番 古澤 慎介 はじめに 研究目的 第1章 政治、全体への無関心 1.1 政治的無関心の実態と今日的争点 1.2 政治参加 1.2.1 政治参加と民主政治 1.2.2 社会的連帯と政治参加 1.2.3 社会的連帯と政治意識 第2章 社会的連帯の弱体化と集団意識の変化 2.1 「生存と安全」の意識と「個」の意識 2.1.1 日本文化論のパースペクティブ 2.1.2 歴史学と国家意識のパースペクティブ 2.1.3 「個人主義」のパースペクティブ 2.1.4 「パラサイト・ ナショナリズム」 第3章 社会的連帯と人々の意識の分析 3.1 信念体系 3.2 価値観 3.3 信念体系と価値観の分析の考察 第4章 政治意識と信念体系・価値観の関連 4.1 政治意識と信念体系・価値観の相関 4.2 社会的連帯が規定する価値観と政治意識との関連性 4.3 分析の結果、考察 第5章 結果と考察 注・参考文献 1はじ めに 本稿は、日本における人々の全体社会や政治意識についての分析を行うものである。
ここでは人々の全体社会や政治への無関心の要因として、日本社会の連帯の弱体化とそれが規定する信念体系や価値観の存在を取り上げ、それらの関連を考察するすなわち、全体社会や政治への無関心、日本社会の連帯の弱体化、信念体系・価値観、これら3つの概念を結ぶ関係を明らかにするなお本稿で分析に用いるデータは、1993年衆議院議員選挙直前から1996年衆議院議員選挙直後までの7回にわたって、 有限会社エル・ デー・ ビーによって行われた 「JESⅡ 変動する日本人の選挙行動」 である本稿では特に、7回の調査のうち「第6,7回調査――96年総選挙直前・ 直後」のデータを用いるというのも、96年総選挙の投票率は、小選挙区が59.65%、比例区が59.62%で当時史上最低となったこのことは本稿の主旨である人々の政治的無関心を分析するに当たって、特に有用な条件であると思われるまたこの年の選挙では、小選挙区だけについてみると、自民党と新進党の2大政党が厳しく競争し、第3党以下の政党は議席をあまり獲得できなかったこの状況は2004年現在の自民党と民主党の2大政党、そして得票の伸び悩むその他の政党といった様相と類似している。
その意味で、数年前のデータでありながら、この年のデータは現代の政治状況と照らし合わせても反映できるものであると考えられるデータのサンプルの詳細については、本文末の注に記載する1) 研究目的 人々の政治に対する意識、国家に対する意識、全体社会に対する意識とは何によって規定され、何によってどのような影響を受けているのだろうかこの疑問が本論のテーマを設定した理由である政治、国家、全体社会に対する意識は今日さまざまな形で議論の対象となっているすなわち、イデオロギー、ナショナリズム、政治意識などであるそれらは多くの研究で議論され、それぞれがさらに多くの形で解釈されているため、まとまったひとつの形で定義するのは困難であるしかし、あえてそれらを1つの共通の枠でくくろうとすれば、その枠は人々の「 意識」 であるということがいえようまた人々の意識という枠に規定される概念であるがゆえに、そこには人々の基本的な属性が大きく影響していると考えることができるおおざっぱにいえば、日本人には日本人の意識があり、アメリカ2人にはアメリカ人の意識がある、ということであるつまり、日本における、日本社会に生活する人々の意識とはどのようなものであるか、ということが上記の疑問を解明する1つの鍵となる。
日本社会の様相を研究し、分析することによって、日本に住むわれわれの意識を探るということである 本稿では日本社会の今日的特徴や論点として、社会的連帯、政治、全体への無関心という概念を分析するこれらは日本が近代化し、戦争を経て現代に至るなかで、日本社会と日本人が経験した大きな変化のひとつであり、社会と人々の意識の関連を考察するにおいての重要な要素であると考えられるこのような研究目的をもとに、以下分析を進めていきたい 第1章 政治、 全体社会への無関心 1.1 政治的無関心の実態と 今日的争点 日本人の政治への無関心が叫ばれて久しいテレビ、新聞などのマスコミは、国政選挙のあるごとに投票率の減退を声高に叫んでいる最も新しいデータで、2003年衆院選の最終確定投票率が小選挙区59.86%、比例代表区では59.81%となった2000年の前回(小選挙区62.49%、比例代表62.45%)を小選挙区で2.63ポイント下回り、過去最低だった1996年の前々回(小選挙区59.65%、比例代表59.62%)に次ぐ史上2番目の低投票率となり、国民の政治不信をあらためて浮き彫りにした衆院選では2回目となる比例代表選のみ投票可能な在外投票の投票率は15.93%で、前回の29.07%を13.14ポイント下回った。
また人々の投票行動を裏づけする投票意欲が、時代と共に減退しているとされている投票を棄権する理由として、 「選挙に興味がない」という意見の割合が年々増加している傾向があるという調査結果も出ているこれらのことから現在の日本は、国民が政治や国家政策に関心をもたない、あるいはもてない状況にあるということがいえる果たしてその原因は何か 政府の政策の内容や実行、政治の腐敗などが国民の政治不信に繋がるとの声は大きいそのような事態は、現実に国民の政治への無関心や投票意欲の減退を助長し得る要因であると考えることもできる現に政治家のスキャンダルは毎日のようにテレビで放映され、国民の目に飛び込んでくる また、 政府の経済政策や外交政策に対する世論調査を見ても、政府に反対する意見を持つ国民が半数以上いるという結果が出るものも稀ではないしかしそれらは政治不信にこそ繋がるものの、単純に政治への無関心に繋がるものとは言い難3いなぜならそれらの場合、政治の悪徳を是正するために積極的に政治参加しようとする人々が出てくることも考えられるからであるその意味で、安直に政治不信と政治的無関心を直接的に限定して関連させるべきではない。
政治的無関心にはもっと別の要因も関係していると考えられる 政治的無関心について分析する際に、まずそれが社会や政治に与える影響について明らかにしておかねばならない政治的無関心とは、我々の眼に見える形で、実態としてどのように現れるのかまたそれが社会においてどのような作用を及ぼすものなのか以下ではそのことを明確にすることで、政治的無関心のもつ社会的な意味とは何かを整理していきたい 1.2 政治参加 政治的無関心と密接に関連しているのが政治参加であるわれわれの社会は民主政治によって成り立っており、そこには当然、我々自身の政治参加が要請されるその意味で政治的無関心とは、政治参加における一つの問題点として扱うべきものであるといえるここではまず、民主政治における政治参加の位置付けを明らかにし、そこにおける政治的無関心の意味を考察したい 1.2.1 政治参加と 民主政治 民主政治における政治参加とはいかなるものかここではその位置付けを明らかにするそもそも民主的な政治制度を持つ社会において、その社会を構成するわれわれ国民の政治参加は必須である それは民主政治の根幹に政治参加が位置付けられるからである では、いかにして民主政治の根幹に関わっているのか。
小林久高(2000)はまず民主政治の定義をこのように述べるすなわち、 「対話を重視し、多数の意志にしたがった政治」 「議論と多数決にもとづく政治」 (小林 2000: 64)であるここで重要なのは民主政治には対話と多数の意志、もしくは議論と多数決という2つの要素が存在していることである小林はこれら2つの要素が共存していてこそ民主政治は成立すると述べ、反対に多数決の原理が働くものこそ民主的だ、とする言説に警鐘を鳴らすそしてその根拠をこう説明する なるほど、民主政治は一般に多数決を決定の法則として採用するそれは民主政治に要請される規則といってもいいだろうそのことは多数の意思ということが何より4重視されることを示しているかに見えるしかし、なぜ多数決が採用されるかということについてもう少し考えてみる必要がある多数決が採用されるのは、多数者の意見がいつも正しいという考え方によるものではないそうではなく、正しいことがあればそれは多数者に理解されるという考えから生じたものである 「初めは少数者の意見であってもそれが正しい意見であるならば、対話を経てやがては多数者の意見になる」 というのが民主主義が前提としている考え方なのである。
この考え方からすると、単に多数の意志や多数決ということで民主政治を定義することは、その決定を妥当だとする根拠をむしろ損なってしまう単なる多数決を民主主義政治の原理とみなすことは、むしろ多数決そのものの根拠付けている基礎を破壊してしまうのであるしたがって、民主政治の定義には「多数の意志」だけでなく「対話」も必要なのである (小林 2000: 65) このように、民主政治においては「対話によって多くの人々に意見についての理解がなされること」と「多数決によって多くの人々が納得した意見を採用すること」が重要となってくるこの要件を満たして初めて、民主政治の定義がなされるのであるそして民主政治における政治参加の位置付けとは、上記の対話と多数決の2つのプロセスを行うことであるということができるつまり民主政治における政治参加とは、 「対話によって多くの人々に意見についての理解がなされること」と「多数決によって多くの人々が納得した意見を採用すること」である本稿では、政治参加における政治的無関心の意味を考察するに当たって、特に、 「対話によって多くの人々に意見についての理解がなされる」というプロセスに焦点を当てる。
というのも、政治参加においてこの対話のプロセスの有無が、社会的連帯とは不即不離のもので、政治や全体社会への関心といったものに大きく影響を与え得るものだからである 1.2.2 社会的連帯と 政治参加 政治参加と政治的無関心の関連を考えるとき、人々の社会的連帯がいかにしてそれらに影響を与えているかを考慮する必要があるなぜなら社会的連帯は、民主政治の用件とされる対話のプロセスと密接に関連しているそしてその対話のプロセスは、前述したように政治や全体への関心に大きく影響を与え得ると考えられるからである 結論を述べると、社会的連帯は政治参加の動機の源泉であり、また政治や全体社会への 5図1 社会的連帯から 政治参加へ 関心を持つ動機の源泉であるまた社会的連帯の希薄な、つまり孤立した個人は全体のことについて何の関心も持たないのである全体とのかかわりの中で生きる人間にとって、自らを取り巻き、自らの生き方を直接的に決定し得る全体社会は、当然関心の的となるしかし、全体とのかかわりを持たず、全体が自らの生き方に直接的な影響を与えないと考える孤立した個人にとっては、全体がどのように方向付けられようが、どのような状態になろうがまったくどうでもいいことである。
結局個人にとって全体への関心とは、その個人が全体という社会に参加して社会的な存在になったとき、初めて喚起される。
