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毕业设计「古譚」から近代人物語への転換 中島敦「山月記」論.doc

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    • 西安交通大学本科生毕业设计(论文)毕业设计(论文)题 目 「古譚」から近代人物語への転換 --中島敦「山月記」論 外语学 院 日语 系 31 班学生姓名 殷轶文 学 号 03102015 指导教师 李宁 设计所在单位 西安交通大学 2007 年 6 月摘 要在中岛敦的作品当中,有四篇短篇小说是从古代故事当中取材,并以《古谭》为总题的这四篇分别叫做是《文字祸》,《木乃伊》,《狐憑》与《山月记》。

      在这四篇当中,尤数《山月记》最为著名,它长期作为日本高中语文教科书的古典课文部分被采用,在日本的文学史上占有极其重要的地位本论文从《山月记》与原著素材《人虎传》的比较,中岛敦文学一贯的主题,《山月记》与《古谭》其他作品的关联这三个视角出发,就《山月记》的主题,特别就主人公李徵变虎的原因进行了探讨并得出了以下结论《山月记》的作者中岛敦,先将主人公李徵设定成执意成为诗人的人,然后将这一人物性格的变动带入到原著素材《人虎传》――“变成老虎的人” 这一故事框架当中,然后在此基础上,继续将中岛敦本人生活时代所产生的存在论,艺术与实际生活的差异,自我性情的问题等等逐一投入到这一故事框架当中,完成了对原著的再创造这种再创造,实际上就是指:对于人类存在本质的怀疑,诗人的艺术与实际生活的背离,以及自我性情所产生的精神上的疾病正是因为通篇贯彻了这样一种再改造,《人虎传》的故事框架――“变成老虎的人”才被赋予了生机,作为近代人的物语――《山月记》,重新焕发了光彩 关键词:山月记,人虎传,近代人,转换,对照研究要 旨中島敦には「古譚」と総題を付けられ、古代の物語を取材した短編小説があり、それは「文字禍」、「木乃伊」、「狐憑」、「山月記」の四篇である。

      これら四篇の中では、特に「山月記」は長く日本の高校国語教材の古典として教科書に採用されてきて、日本の文学史上でも非常に重要な位置を占める作品である本論文では、原典素材『人虎伝』との比較、中島文学に一貫して流れるテーマとの関連、『古譚』諸作品との関わり、という三つの視角を通して、『山月記』の主題、特に主人公李徴が何故虎に変身したのかについて検討してみたそして、以下の結論が出た『山月記』の作者中島敦は、『人虎伝』の枠組み――「虎になった人間の話」の中に、詩人としての李徴像をまず持ち込み、さらに、そこに中島敦の生きていた時代の地平や関心であった存在論、芸術と実生活の差異、自我性情の問題などを持ち込むことで、原典素材を変容しているこの変容、あるいは転換の論理としての人間存在への懐疑、詩人の芸術と実生活の背反、あるいは自我の性情という精神の病理が貫徹されることで、『人虎伝』の枠組み――「虎になった人間の話」が生かされ、近代人的な物語として、『山月記』は蘇ったのであるキーワード:山月記 人虎伝 近代人 転換 対照研究目 次第1章 はじめに 1第2章 先行研究 2第3章 『人虎伝』との比較 43.1 『人虎伝』のあらすじ 43.2 六つの相違点 53.2.1 李徴の性格と周辺の人物の変更 73.2.2 袁傪への依頼の順序変更 73.2.3 後日談の削除 83.2.4 李徴に詩人としての執念を与えたこと 9第4章 変身の原因 104.1 原典素材からの創造的付加 104.2 『山月記』の序章 ――中島敦の共感と「二つの挫折」 114.3 変身の原因 ――人間存在への懐疑 154.4 変身の原因 ――「臆病な自尊心、尊大な羞恥心」 174.5 変身の原因 ――自我批判 21第5章 むすび 25謝 辞 27参考文献 29iii第1章 はじめに『山月記』(一九四二.二『文学界』)は『こころ』、『羅生門』などと共に長く日本の高校国語教材の古典として教科書に採用されてきて、日本の文学史上でも非常に重要な位置を占める作品であり、これまで多数の論者によって考察されてきた。

      その中で、原典素材の中国伝奇『人虎伝』との比較に立って、その『山月記』への変容の中に、中島文学の特性を捕捉しようという方法論に立って研究されたことも少なくないそして、この方法は確かに『山月記』の場合、分析の方法として、かなり有効であると考えられるそれをちょっと詳しく説明してみれば、つぎのようなことになる『人虎伝』という原典素材があるということは、『山月記』の基礎的構造が明らかになるということであったつまり『人虎伝』からそのまま採用された要素、変更を加えられて採用された要素、捨棄された要素、そして、作者がまったく新しく創造した要素などが判明することができると同時に、それらの要素がどのように構成され、『山月記』一篇を組み立てているかが一望の下に見渡せることになるからであるとなれば、そうした選択と変更と創造的付加との様相、並びにその組み立てを透視することによって、作家のモチーフはかなり容易に明らめ得ることになるであろう本篇の立場としては、これまでの研究成果を踏まえることは勿論のことながら、『山月記』と『人虎伝』との比較を通して、李徴が虎に変身した深層的な原因を論じることで、自我存在の喪失などという近代人の物語によくある問題に中心を置きたい。

      その際、一、原典素材『人虎伝』との比較、二、中島文学に一貫して流れるテーマとの関連、三、『古譚』諸作品との関わり、という三つの視点をあわせて検討してみたい 第2章 先行研究まずここまでの『山月記』論、あるいは中島文学論の代表的な論点を紹介する「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」、この異常な性格の欠陥が李徴を虎と化したものであり、この事を何故今まで気付かなかったのかと、痛切極まりない懺悔は、実はこの「自己を知らなかった嘗ての愚かさ」であることを述べている中島の人間観は「人間は誰しも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが各人の性情だという」ということである 松村明敏.1958.国文学 解釈と教材の研究[M].東京:学燈社.pp82人間の終局的挫折とは、執念の挫折を言うのであろう「臆病な自尊心、尊大な羞恥心」とは、そうした壮大な人間の野望の前を、時々横ぎる不安の陰りであるそれは、「己れ」をあらためて振り返らせ、確かめさせる作用はするのであろうしかし、この野望を大きく変容する力はないみずからを永遠の存在にしたい願望は、すでに本能とともにあるに対して、心理の微妙な変化は、時とともに変転きわまりないそれは人間を複雑にはするが、本質的に変えはしない。

       佐々木充.1965.「山月記」-存在の深淵.国語国文研究[J].昭和40年九月号.pp34中島はついに自己の狼疾をいやす方法を発見しなかったましてそれを利用して、作品を読者に近づけようなどとは考えもしなかったしかしその彼を苦しめつづけた狼疾、彼が嫌悪し、自ら非文学的とさえ思い当たったその彼の自我は、いつの間にか、彼以外の何者も書けなかった新しき文学へと、彼を導きつつあったのである 武田泰淳.1948.作家の狼疾 -中島敦「わが西遊記」をよむ-.中国文学[J].昭和23年二月号.pp62ここまでの『山月記』論を振り返ってみると、今の段階では、『山月記』はいろいろな方法で論じてきたのは明らかであろうもちろん、作品は作者の手から離れる途端に、様々な解釈が可能であり、また、本来的に作品は享受主体とのかかわりの中で理解されるべきであるから、そのいろいろな方法には疑問がないここで、『山月記』について今までの論点を踏まえるうえに、『人虎伝』との比較の作業もすると同時に、『山月記』の主題を整理したいと考えるその上に、『山月記』論を少しでも深い作品理解の方向に進行させるのに役に立ったら、幸いと思う第3章 『人虎伝』との比較3.1 『人虎伝』のあらすじ第一章に言った比較の作業を進行する前に、まずは『人虎伝』を大概に紹介しておこう。

      前も言及したように、中島敦の『山月記』は唐の時代の『人虎伝』を原典素材にしている『人虎伝』は極悪非道の業のため、虎になった人間の怪異譚であったこの怪異譚の背後には、行いの悪い人間は罰が当たるという仏教的、儒教的な文化があり、『人虎伝』は、この文化伝統を基盤として構築された物語であったところで、一九四零年代の日本の状況――戦争中――を生きる中島敦には、もはやこの文化伝統を共有する地平は失われていた仮に、原典素材の枠組み――「虎になった人間の話」を借用したとしても、虎に変身してしまった理由を「極悪非道の業」で説明するわけには行かなかった『山月記』を構想する新しい物語の中島敦は、新しい虚構の整合性、合理性が要請されていたのであった一体『山月記』の作者は『人虎伝』の何を変更し、何を省き、何を追加したのであろうかを確認するため、まず、『人虎伝』のあらすじを紹介する皇族の子であった李徴は、「性疎逸、才を恃んで倨傲」であった「卑僚」に甘んずることができず、ついに、人との交わりを断ったしかし、やがて生活のため、また官吏の道についた再び、官吏の道に戻った李徴は、歓待され、当地から帰京する際には、「獲る所の饋遺甚だ多し」といった状況であった。

      ところが、突如、汝水のほとりで、「疾を被りて発狂し」、行方不明になる従者は彼の財産を持って逃亡してしまった李徴の友袁傪は、公用で出掛けた時、奇怪にもこの虎になった李徴と再会し、お互いに喜びあった虎になった李徴は、虎になったいきさつを述べ、すでに「飢えて堪え難し」状況の中で女性を食べた経験などを話し、虎になってしまった運命を深く嘆き、悲しんだ運命を呪い、飢えに苦しむ李徴の最大の関心は、妻子のことであった李徴は友人袁傪に、自分がすでに死亡したこと、今日のことは言ってほしくないこと、妻子の生活の面倒を見てくれるよう依頼し、袁傪もまたこころよく引き受け取ったこの頼みが受け入れられた後で李徴は袁傪に「旧文数十篇」の「伝録」を依頼した「文人の口閾に列する」ことを強く願望してのものではなく、「自分の足跡を子孫に伝える」ためであった袁傪は、李徴の「文甚だ高く、理甚だ遠し」ことにいたく感嘆する李徴の心境を歌った即興の「詩一篇」を聞くに及んで、ますます李徴の「才」の非凡であることを確信するそこで、袁傪は、このような。

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