
《汉诗から和歌へ》ppt课件.ppt
26页漢詩から和歌へ,漢詩の隆盛,律令再建、唐の制度に学ぶ 遣唐使の派遣、知識人の登用 唐風文化が尊重された (国風暗黒時代),三大勅撰漢詩集,平安時代の始め、嵯峨天皇を中心とした宮廷で編集された 『凌雲集』(りょううんしゅう) 『文華秀麗集』(ぶんかしゅうれいしゅう) 『経国集』(けいこくしゅう),代表的な詩人,嵯峨天皇(さが)、有智子内親王(うちこ)、小野篁(おののたかむら)、空海 [9世紀末]都良香(みやこのよしか)、三善清行(みよしのきよつら)、紀長谷雄(きのはせお)、菅原道真,空海(くうかい),(774~835)唐に留学し、真言宗(しんごんしゅう)の開祖になった弘法大師 『性霊集』(せいれい)(詩文集) 『文鏡秘府論』(ぶんきょうひふろん)(詩論集),菅原道真(すがわらのみちざね),(845~903)清公(きよきみ)―是善(これよし)― 文人政治家・文章博士 阿衡事件 『菅家文草』(かんけぶんそう)、『菅家後集』,月夜見梅花,月耀如晴雪 梅花似照星 可怜金鏡転 庭上玉房馨,路遇白頭翁,路遇白頭翁 白頭如雪面犹紅 自頭行年九十八 无妻无子独身窮 三間茅屋南山下 不農不商云霧中未旦求衣賦,以秋夜思政,何道濟民,為韻依次用之。
限三百字已上成篇天満宮・学問の神様,『本朝文粋』,(ほんちょうもんずい) 藤原明衡(あきひら)撰11世紀中ごろ成立 漢詩文の栄光の思い出として編まれた和歌の復興,律令体制の崩壊 貴族文化の発展 仮名文字の発達,屏風歌・歌合,屏風歌(びょうぶうた) 歌合(うたあわせ)――『在民部卿家歌合』(ざいみんぶきょうけ)、『寛平御時后宮歌合』(かんびょうおんとききさいのみや) ①宮廷歌としての再生 ②当座の感動を歌うのではなく、与えられた題に従って詠む技巧が多用され、漢詩の強い影響を受けた『古今和歌集』,成立過程――延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命により、紀友則(きのとものり)、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)を選者として編まれ、最初の勅撰和歌集 構成――20巻千百首 配列法――春、夏、秋、冬、恋 真名序と仮名序,仮名序,この世の中、色につき、人の心、花になりけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に埋れ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄穂に出すべきことにもあらずなりにたり ――紀貫之,三つの時期,よみ人知らず時代(過度期) 六歌仙時代、主に六人の個性的な歌人が登場し、技巧を駆使して人生を歌い、後代に大きな影響を与えた。
選者時代、古今風を完成した時代、繊細な感覚で捕えられた現実を理知的に処理し、言葉による優美典雅な世界を樹立した六歌仙とは,遍照(へんじょう) 在原業平(ありわらのなりひら) 小野小町(おののこまち) 文屋康秀(ぶんやのやすひで) 喜撰(きせん) 大伴黒主(おおとものくろぬし),小野小町,花の色は うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに,勅撰和歌集,古今集 後撰和歌集 拾遺和歌集 後拾遺和歌集 金葉和歌集 詞花和歌集 千載和歌集 新古今和歌集,「三代集」 「八大集」 室町時代まで21編まれた私撰集・私家集,個人が多くの人の歌を集めた 『新撰万葉集』(菅原道真) 『新撰和歌』(紀貫之) 『古今和歌六帖』,ある個人の歌を集めたほかの歌人,曾禰好忠(そねのよしただ)、和泉式部(いずみしきぶ) (後期)能因(のういん)、源経信(つねのぶ)、源俊頼(としより) (末期)藤原俊成(としなり)、西行(さいぎょう)――艶麗、幽玄な新古今の道を開く,和泉式部,黒髪の 乱れも知らず うちふせば まづかきやりし 人ぞ恋しき,歌論・歌学,『歌経標式』(藤原浜成) 『古今集』の仮名序 『新撰髄脳』(藤原公任(きんとう))、『俊頼髄脳』(源俊頼)、『袋草子』(藤原清輔(きよすけ)) 藤原俊成・定家,。
