
日本文学史复习资料.doc
6页日本文学史の時代区分上代(上古):大和・奈良時代 (391 ~ 794) 古代前期 中古: 平安時代 (794~1192) 古代後期 中世(近古):鎌倉・室町時代 (1192~1603) 近世: 江戸時代 (1603~1867) 近代: 明治・大正時代 (1867~1925) 現代: 昭和・平成時代 (1925~2000)上代(大和・奈良) 文学誕生~平安遷都(794年) 祈り・感動ー文学の誕生 4C 大和政権 5C 漢字 文学・文字・国家 6C 仏教 7C 大化の改新 中古(平安時代) ~鎌倉幕府成立(1192年) 8C 律令の立て直し 漢詩 9C 摂関政治(藤原氏) 10C 道長(みちなが) 貴族 仮名文学 11C 院政(白河天皇) + 武士の台頭 中世(鎌倉・室町・安土・桃山) 江戸幕府の成立(1603年) 承久(じょうきゅう)の乱(1221年) 貴族 昔が恋しい 武士の台頭地方と庶民が元気 隠遁者 →隠者の文学 新仏教 元寇(1274・1281年) 鎌倉幕府滅亡(1333年) 動乱・混乱 応仁の乱(1467~1477年) 近世(江戸) ~大政奉還(1867年) 武断政治 文治政治 社会の秩序維持 教育の普及 大衆化 木版印刷 町人の経済力 UP上方(かみがた)→江戸時代背景上代(奈良時代) 文学の誕生から平安京遷都(794)ころまでの文学を古代前期の文学という。
都藤原京(ふ じわらきょう)(今の奈良市以南の二十キロの飛鳥(あすか)というところにある)や平城京 (へいじょうきょう)(今の奈良市)など、主として大和地方(今の奈良県)に政治、文化 の中心が置かれていたので、大和・奈良時代ともいう 社会的背景遠く数千年間、日本人の祖先は、植物、鳥獣、魚や貝などをとりながら、散在していた やがて、共同を必要とする農耕の生活をはじめるようになってから、大小の集落を作るよ うになり、さらに、離合集散を経て、いくらかの氏族中心の小国家にまとめられていったそれらは、のちに、大和の勢力に統一され、ここに祭祀を中心とした氏姓国家が成立した しだいに強大となった大和朝廷は、四世紀末から朝鮮半島の経営に?のり出し、その結果、 大陸の文物や技術が伝来したついで、天皇中心の国家体制を整えた聖徳太子は七世紀はじめに、遣隋使をおくり、中国 の文化を輸入したそして、七世紀半ばの大化の改新を経て、中央集権の律令国家が誕生 したこうした革新の気運が、飛鳥(あすか)、白鳳(はくほう)の文化をつくり、さらに、 唐式の都をいとなんだ奈良に、天平の文化を栄えさせたのである 聖徳太子(しょうとくたいし)は、敏達天皇 3 年 1 月 1 日(574 年 2 月 7 日) - 推古天 皇 30 年 2 月 22 日(622 年 4 月 8 日) 、飛鳥時代の皇族。
聖徳太子という呼称は生前にはなく、没後 100 年以上を経て天平勝宝 3 年(751 年)に編 纂された『懐風藻』が初出と言われる 崇仏派の蘇我馬子(そが の うまこ)と排仏派の物部守屋(もののべ の もりや) 崇峻天皇→推古天皇(天皇家史上初の女帝) 推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣する など大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を 中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を厚く信仰し興隆につとめた大化の改新(たいかのかいしん)は飛鳥時代の孝徳天皇 2 年春正月甲子朔(西暦 646 年) に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革中大兄皇子((な かのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)後の天智天皇)らが蘇我入鹿(そが の い るか)を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変(いっしのへん)の後に行われたとされ る(この暗殺事件もまとめて大化の改新と呼ぶこともある) 飛鳥文化(あすかぶんか)は、推古朝を頂点として大和を中心に華開いた仏教文化である 時期としては、一般に仏教渡来から大化の改新までをいう。
朝鮮半島の百済や高句麗を通じて伝えられた中国大陸の南北朝の文化の影響を受け、国際 性豊かな文化でもある多くの大寺院が建立され始め、仏教文化の最初の興隆期であった上代文学一覧 1.神話・伝説・説話・史書・地誌古事記(こじき 712 年)稗田阿礼・太安万侶日本書紀(にほんしょき 720 年)舎人親王風土記(ふどき 713 年ごろ)高橋氏文(たかはしのうじぶみ 789 年) 2.祝詞(のりと) ・宣命言霊(ことだま)信仰による祭祀文学の発達延喜式(えんぎしき)祝詞 905年中臣寿詞(なかとみのよごと) 続(しょく)日本紀祝詞 3.歌謡記紀歌謡・風土記の歌謡・仏足石歌碑・琴歌譜 4.和歌万葉集(759 年以前 大伴家持ら)歌経標式(中国語「詩経 詩式」に倣ったもの)柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)歌集類聚歌林 その他 5.漢詩文懐風藻(751年) 『古事記』 現存する日本最古の叙事的文学 和銅五年(712 年)成立 天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦み習っていた帝紀や本辞を、元明天皇の命 で太安万侶(おおのやすまろ)が採録したもの 三巻から成る 上巻:天地創造から神武天皇の誕生まで 中巻:神武天皇から応神天皇まで 下巻:仁徳天皇から推古天皇まで 天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成れる神の名は、天 之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ) 、次に 神産巣日神(かみむすひのかみ) 。
此(こ)の三柱(みはしら)の神は並独神(みなひと りがみ)と成り坐(ま)して、身を隠したまひき 『日本書紀』 編年体の歴史書 養老四年(720 年)成立 元正天皇の命で舎人親王(とねりしんのう)が中心となって編集 全三十巻から成る(神代から持統天皇まで) 六国史(りっこくし)の最初のもの日本書紀、続日本紀、日本後記、続日本後記、日本文徳天皇実録、日本三代実録 古代歌謡(口承文学の歌謡が発達したもの)が採録されている(約 130 首)→記紀歌謡 歌謡以外は純粋な漢文体 古事記と日本書紀の比較『風土記』 元明天皇が諸国に命じてその国の地誌を編纂させたもの1.郡郷の名(好字を用いて)2.産物3.土地の肥沃の状態4.地名の起源5.伝えられている旧聞異事現存するものは『出雲国風土記(いずものくにふどき) 』を含めた五風土記(『常陸(ひたち、茨城 県)国風土記』 、 『播磨(はりま)国風土記』 、 『豊後(ぶんご、大分県)国風土記』 、 『肥前 (ひぜん、佐賀県・長崎県)国風土記』*風土記に記された有名な伝説 『出雲国風土記』の国引伝説 『丹後国風土記』の浦島子伝説祝詞』 ・『宣命』 祝詞(のりと)祭りの言葉である呪言や呪詞が、儀礼化され、洗練され、長大な詞章として完成され たもの天皇が臣下にかわって神に祈る言葉文章は荘重厳粛で美しく、韻律もととのっている 宣命(せんみょう) 国家の重大事などに天皇が臣下に下した詔勅(しょうちょく)文『万葉集』 現存する日本最古の歌集 8 世紀後半成立 20 巻、約 4500 首の作品 作者は天皇から一般庶民にいたるまであらゆる階層 編者未詳(最終的に大伴家持(おおとものやかもち)が関わったと言われる) 雑歌、相聞歌、挽歌の三部立雑歌(ぞうか) :相聞歌・挽歌以外の歌が収められている。
公の性質を持った宮廷 関係の歌、旅で詠んだ歌、自然や四季をめでた歌などである相聞歌(そうもんか) : 「相聞」は、消息を通じて問い交わすことで、主として 男女の恋を詠みあう歌である挽歌(ばんか): 棺を曳く時の歌死者を悼み、哀傷する歌である 日常生活に即して素朴な感情を率直に表現 万葉がなを用いる 上代歌謡の歌体 歌体はおもに短歌(九割以上) 、長歌、旋頭歌(せどうか) 、仏足石歌片歌(かたうた) 五七七(最短の歌) 短歌(たんか) 五七五 七七(標準的な歌体) 長歌(ちょうか) 五七 五七 五七 …… 五七七(長い形式) 旋頭歌(せどうか) 五七七 五七七(片歌二回) 仏足石歌(ぶっそくせきか) 五七五 七七七(特殊な歌 万葉集 春過而夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山(第 28 番 持統天皇 )春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)干したり 天の香具山 春が過ぎて夏が来たらしい 真っ白な布が干してある天の香具山に * 「て」は、活用語の連用形につき、その動作・状態が一旦区切れることをあらわす 継起・並列・逆接などに使うが、 「て」自体にそうした意味作用があるというより、前後の 文脈から判断されるもの。
*「白栲の」栲(たえ)で織りあげた白布で製った衣栲は楮(こ うぞ)などの樹皮から採った繊維挽歌にも使われる語句*「天の香具山」ー奈良県橿 原市大和三山の一つ天から降ってきた山であるとの伝承があり(伊予国風土記逸文)、 それゆえ「天の」が付いた*「らし」は推定の助動詞*「たり」は完了・存続存続の 助動詞動詞の連用形に付く動作が完了し、なお継続しているとの判断をあらわす 「~している」 、 「~してある」 *持統天皇(53 歳)が孫の文武に皇位継承を行うころの歌 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母(803 番 山上憶良) 銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも 銀も金も宝石も、どうして優れている宝である子どもに及ぶだろうか、いや及ばない 銀/も(係助詞)/金/も(係助詞)/玉/も(係助詞)/何(代名詞)/せ(サ行変格活用・未然 形)/む(推量の助動詞・連体形)/に(格助詞)/勝れ(ラ行四段活用・已然形)/る(存続 の助動詞・連体形)/宝子/に(格助詞)/及か(カ行四段活用・未然形)/め(推量の助動詞・ 已然形)/やも(反語を表す係助詞) 『万葉集』のもうひとつの側面 古代の民衆たちの歌を数多く伝えていること 東歌(あずまうた)東国の民謡的な歌で、方言を交えた素朴な調べで地方民衆の生活感情を歌う 防人歌(さきもりうた)辺境防備のため、東国から徴発された兵士たちの歌で、肉親との別離の悲しみを歌う山上憶良(やまのうえのおくら)仏教や儒教の思想に傾倒していたことから、死や貧、 老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。
そのため、官 人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な 弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる抒情的な感情描写に長けており、また一首の内に自分の感情も詠み込んだ歌も多い代 表的な歌に『貧窮問答歌』 、 『子を思ふ歌』などがある 『万葉集』には 78 首が撰ばれてお り、大伴家持や柿本人麻呂、山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として評価が高い 『新古今和歌集』 (1 首)以下の勅撰和歌集に 5 首が採録されている[5]大伴家持(おおとものやかもち)長歌・短歌など合計 473 首が『万葉集』に収められて おり、 『万葉集』全体の 1 割を超えているこのことから家持が『万葉集』の編纂に拘わ ったと考えられている 『万葉集』卷十七~二十は、私家集の観もある 『懐風藻』 天平勝宝三年(751 年)成立 現存する最古の漢詩集 中国の制度を模した律令制度のあり方からしても、漢詩文の知識と創作は必須の教養 伝統の和歌に対する新文学として、。
