
标日中级电子书(下)TXT.doc
33页第 21 課 火山(かざん)と温泉(おんせん)(1)日本の国土は,地球上の陸地(りくち)のわずか 400 分の 1 にすぎないしかし,その狭い国土になんと世界の火山の 10 分の 1 が集まっている日本の風土を考えるうえで,これらの火山の存在(そんざい)を無視することはでぎない火山が多くて困るのは,地震(じしん)が頻繁(ひんぱん)に起こったり,火山の噴火(ふんか)によって被害を受けたりすることである例えば,九州(きゅうしゅう)の鹿児島(かごしま)市では,桜島という火山が噴き上げる火山灰(かざんばい)のために,市民の生活や農作物(のうさくぶつ)がしばしば被害を受ける最近では,1986 年 11 月に,東京の南にある伊豆大島(いずおおしま)で,三原山(みはらやま)という火山が噴火して溶岩(ようがん)が流れ出し,島の住民(じゅうみん)が一時本州(ほんしゅう)に避難(ひなん)するという騒ぎ(さわぎ)があったしかし,困ることがある一方で,逆にありがたいこともあるそれは,火山の恵みである温泉が日本のいたる所に湧き出であることである温泉の湯には,硫黄(いおう)やカルシウムなどさまざまな成分が含(ふく)まれていて,病気やけがを治す働きがある。
だから,日本では昔から「湯治(とうじ) 」と言って,病気やけがを治すために,よく温泉を利用した温泉のある所は,美しい山や川など,自然の景観(けいかん)にも恵まれているから,「湯治」は昔の人にとって数少ない娯楽(ごらく)の一つでもあった山の緑(みどり)を眺めながら,あるいは川の流れる音を聞きながら,のんびりと温泉につかるのを,日本人はこのうえない楽しみとしてきたのである日本人は世界でもとりわけ風呂好きな民族と言われているが,温泉が日本人の風呂好きという性格を作ったと言っても過言(かごん)ではないだろう温泉は,湯に入って疲れをいやしたり病気を治したりできるだけではない温泉の熱を使って,野菜を育てたり,魚を飼ったりすることもできるさらに,最近は,温泉の熱を利用した地熱発電(はつでん)の研究も行われている地熱発電は技術的にまだまだ難しい問題があるようだが,温泉の熱をェネルギ一源にしようという考えは,火山の多い日本にとってたいへん魅力的である2)王:今度佐藤さんと箱根(はこね)の温泉にいくんです田中:そうですかそれはいいですね王:温泉だから,やっぱり火山があるんでしょう火山も見てみたいと思ってるんですが。
田中:もちろんありますよ噴火した火口の跡があって,今でも水蒸気(すいじょうき)が噴き出してるんです王:ぜひ行ってみたいですねでも,急に噴火しないでしょうかこのあいだ,伊豆大島の三原山が噴火したでしょう田中:だいじょうぶですよ箱根は三原山ほど火山の活動が活発じゃあないから,心配することはありません王:それなら安心(あんしん)するですねでも,このあいだの三原山の噴火にはびっくりしました田中:そうでしょうね実は,ぼくも,まさか(没想到)あんなに大きな騒ぎになるとは思わなかったんです火山の噴火なんてめったにないんですが,日本は火山が多いから油断(ゆだん)はできないですねけれど,火山のおかげで得をしてることもあるんですよ王:温泉が豊富(ほうふ)なのは火山のおかげですものね田中:ええそれに,火山の近くは,湖(みずうみ)があったりして,景色(けしき)のいい所が多いんですだから,日本の国立公園には,たいてい火山と温泉があるんですよ第 22 課 贈り物(1)日本には,お中元(ちゅうげん)とお歳暮(せいぼ)という贈り物の習慣があるお中元もお歳暮も,もともと神や仏(ほとけ)に供える(そなえる)米(こめ)や餅(もち) ,魚などを親しい人に贈る,という宗教(しゅうこよう)行事(ぎょうじ)だった。
それが,次第に宗教行事としての意味を失い(うしない) ,現在では,世話になっている人に感謝のしるしとして贈り物をする,という習慣になっている個人(こじん)の間はもとより,会社の間でも盛んに贈り物のやりとりが行われる贈り物に柄をれる品(しな)も,砂糖やお茶などの食料品,食器類や衣類などの日用品と,実に多種多様(たしゅたよう)であるそのため,毎年,七月のお中元の時期(じき)と 12月のお歳暮の時期になると,全国のでパ一トや商店にさきざきなお贈答品(ぞうとうひん)が並べられ,店内はそれを買い求める客で後った返すお中元にしろお歳暮にしろ,本来の宗教的な意味はなくなり,今では,多くの人がただ社交のために贈っているだけである 「このよな習慣は廃止しょう 」という声もあるが,現実には一向になくなる気配(けはい,情形,迹象)はないそれどころか,外資系(がいしけい)の会社に対しても, 「郷(ごう)に入っては郷に従え 」とばかりに,中元歳暮の習慣を取り入れたらどうかと,デパ一トが働きかけるほどであるところで,贈り物と言えば,最近,おもしろい贈り物の習慣ができた2 月 14 日,キリスト教の聖パレン他インデ一に,女性が好きな男性にチヨコレ一トを贈る,という習慣である。
こんな習慣は,キリスト教の国にもない最初(さいしょ)は,若者間で始まった,このチヨコレ一トのやりとりは,会社などを中心に,今や年齢に関係なく広まりつつあるバレンタインデ一にチヨコレ一トを贈るという習慣は,製菓会社がチヨコレ一トの売り上げの増加をねらって作り出したものらしい製菓会社の販売(はんばい)作戦(さくせん)にまんまと(巧妙,轻而易举)乗せられたと言えばそれまでだが,贈り物の好きな人間の心理をうまくつかんだ製菓会社の作戦勝ち(かち)というところであろうか2)吉田夫人:ごめんくださいませ田中夫人:はいまあ,これはこれは,吉田さんの奥様吉田夫人:いつも主人(しゅじん)がたいへんお世話になりまして田中夫人:いいえ,こちらこそよくいらっしゃいましたさあ,どうぞ,お上がりください吉田夫人:いえここで失礼させていただきますこれはつまらない物でございますが,皆様(みなさま)に召しあがっていただければと存じまして田中夫人:まあ,それはご丁寧に恐れ入りますどうかこんあご心配なさらないでください吉田夫人:これからもどうぞよろしくお願い申し上げますどうもお忙しいところをおじやまいたしました田中夫人:まあ,何のおかまいもいたしませんで。
吉田夫人:ご主人様に度うかよろしくお伝えくださいませでは,失礼いたします田中夫人:そうですかご丁寧にありがとうございましたでは,ごめんくださいませ第 23 課 おいしい生活(1)日本が広告(こうこく)に費(つい)やしている費用は,今や国民総生産の 1%以上(いじょう)だそうだおよそ 3 兆(さんんちょう)という莫大(ばくだい)な金額であるテレビのコマ一シャルをはじめとして,新聞や雜誌の広告欄,看板やポスタ一など,私たちの身の回りは広告だらけだこれだけ多くの広告が次々と作られているのだから,広告費がかかるのも当然である広告と言えば,しばらく前に「おいしい生活」という広告があった 「おいしい」という言葉は普通食べ物に用いるので, 「おいしい生活」は正しい日本語の表現とは言えないこれは,あるでパ一トが出した広告の宣伝(せんでん)文句(もんく)なのであるだが,そう言われても,どうしてこれがでパ一トの広告なのか,と首をかしげんる人がいるにちがいない実際,これを初めて目にした時は,だれもが「おやっ」と思った広告であることはわかるが,何の広告なのかよくわからないというのが,最初(さいしょ)の印象だった。
しかし,意味のよくわからない広告だからこそ,多くの人が興味をそそられて,これに注目(ちゅうもく)したのである「おいしい生活」がポスタ一やテレビに登場(とうじょう)するやいなや,それはたちまち人の話題をさらったおかげで,この広告を出したでパ一トの名前が売れたことは言うまでもないこの出来事(できごと)は,大胆(だいたん)で奇抜(きばつ)な広告が人気を集める時代であることを強く人々に印象(いんしょう)づけ,新しい広告の流行を作り出したちなみに(顺便说一下)昔はどうだったかと言うと,覚えやすい文句で,何の宣伝かだれにでもすぐわかる広告がほとんどだったしかし,現代では,あたりまえの宣伝文句ではとうてい(无论如何)はやらないもっと人を「おやっ」と思わせるような広告が流行(りゅうこう)になっているからだこのような流行は商品広告だけではない公共(こうきょう)広告も,以前は「暴力(ぼうりょく)追放(ついほう) 」とか「お年寄りを大切に」といった,わかりやすい呼びかけがほとんどだったが,最近では,大胆で奇抜なものに変わってきた金銭的な利益に結び付かない公共広告も,広告であるからには,時代の流行に無関心(むかんしん)ではいられないのだろう。
2)張:あれこれは映画のポスタ一かな山田:ああこれは地下鉄の公共広告のポスタ一だよ 「独裁者(どくさいしゃ)っ」ていう,チャップリンの映画のパロデイ一さ張:ふうん 「独占者」と書いてあるね山田:つまり,座席(ざせき)を独(ひと)り占めしないで,お互いに譲り合って座る(すわる)ようにしようっていう広告なんだよ張:へえ,おもしろいねえでも,そういうふうに説明されないと,ぼくら(我们)にはわからないなあ山田:そうだろうね最近の日本では,この広告みたいにちょっと奇抜なものが多いんだよまあ,一つの流行だろうな広告っていうのは,いいにつけ悪いにつけ,時代の流行に影響されるからね張:なるほど公共広告も,時代の流行には無関心ではいられないわけだね山田:まあ,日本人は流行に振り回されて(滥用)いるんじゃないかという気がしないでもないけど張:だけど,次々(つぎつぎ)と作られる流行が,会社に活力を与えているのは確かだと思うよ第 24 課 鶴(つる)の恩(おん)返し昔,ある所に,貧乏(びんぼう)な若者がおりましたある日のことです若者が田を耕(たがや)していると,体に矢が刺(さ)さった一羽(いちわ)の鶴舞い降りて来ました。
鶴は,まるでこの矢を抜いてくれと言わんばかりに鳴いていました 「かわいそうによしよし,少しのしんぼう(忍耐)だよ 」若者は,そう言って矢を抜いてやりました鶴は,まるでおじぎ(敬礼)をするかのように,何度も首を振りながら,うれしそうに飛んで行きましたその三日あとの夜のことでした若者が寝ようとしていると,表の戸をトントンとたたく音がしました「いったいこんな時間に誰だろう 」若者が戸を開けると,そこには,目もくらむばかりに美しい娘が立っていました「道に迷(まよ)っているうちに,夜になってしまいました申しわけありませんが,今晩ここに泊めていただけないでしょうか 」「それはお困りでしょうこんな狭いところでよかったら,どうぞお泊りください 」若者は,そう言って,その娘を泊めてやりましたひと晩だけかと思ったら,娘は,その次の日も泊めてくれと言いました若者が,よかったら何日でも泊まっていきなさいと言うと,娘は,次の晩も,またその次の晩も泊まりましたそして,とうとう(终于)若者の嫁にしてくれと言い出しました若者は, 「貧乏なおれの嫁になっても,苦労(くろう)するばかりだ 」と言いましたが,娘は, 「どんなに貧乏でもかまいません。
一生懸命働きますから,どうか嫁にしてください 」と頼みましたもちろん,若者にとってこんなうれしいことはありません喜んでその娘を嫁にしました娘は,美しく,優しく,そして働き者でした若者は,まるで夢でも見ているような幸せな気持ちでしたある日のこと,娘は,若者に,機(はた)を織る部屋を作ってほしいと言いました若者が機を織る部屋を作ってやると,今度は, 「どうかわたしが機を織。
